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『南信州新聞』 2007/1/1

飯田線ことしで70年


現在のJR飯田線の鉄道は1937 (昭和12) 年,東海道本線の豊橋と中央本線の辰野までの間を結ぶ豊川,鳳来寺,三信,伊那電気の4本の私鉄による四線連絡ルートが完成し,誕生した。6年後の1943 (昭和18) 年8月1日,4本の私鉄が国有化され豊橋-辰野間の192.3キロと豊川-西豊川間の2.4キロが国鉄飯田線となった。

1987 (昭和62) 年,国鉄の「分割民営化」により東海旅客鉄道(JR東海)静岡支社の所管となり,3年後に現在のJR東海飯田支店ができた。[...]

JR飯田線の前身 — 4私鉄の誕生と歩み

伊那電車軌道

国内各地で鉄道の敷設が進み,山や渓谷に囲まれる伊那谷の住民も鉄道を誘致しようとする気運が高まっていた当時,物資や人々を運搬していたのは主に運送馬車だった。政府は中央鉄道施設計画を 1892 (明治25) 年に発表。

3年後,当時飯田町出身の井原五郎兵衛氏らが中心となり,伊那富村辰野-飯田間の約 64 キロの敷設を計画し,申請。 1899 年伊那電車軌道社により,県下の私鉄が辰野-伊那松島間で開通した。

豊川・鳳来寺鉄道

前身4私鉄のうち,もっとも早く開業した豊川鉄道。資本金約5万円で設立した豊川鉄道社は,4年後,豊橋-豊川間を開通させ,その後も路線を徐々に延長。1900 年には大海(現在の新城市)までの全通に至った。

鳳来寺鉄道は豊川鉄道の援助を受けて 1920 年に創立。本社は豊川鉄道に置き,翌年から着工。同年2月,大海-三河川合間が開業し,豊川鉄道と互いに乗り入れした。豊橋を起点とする豊川鉄道は鳳来寺鉄道の誕生により,事実上,路線を三河川合まで延長した。[...]

三信鉄道

残された天竜峡-三河川合の区間を結ぶ鉄道の開通が待ち望まれる中,険しい天竜峡の渓谷が早期の開通を阻んでいたとされる。当時急速に発展を続ける電力産業には天竜川の豊かな水資源は魅力で,ダム建設の物資輸送ルートの確保のためにも,地元では開通が強く望まれていた。

工事は北線は天竜峡,南線は三河川合からそれぞれ同時に始まった。工事は難航しながらも着実に進み, 1937 (昭和12) 年,最後の難所だった大嵐-小和田間が開通。豊橋-辰野間の約 200 キロ近い距離は1本の線路で結ばれた。

各時代を支えた飯田線

大正時代から昭和初期にかけて貨物輸送を支えてきた天竜川の水運は次第にその手段を鉄道輸送へと切り替えていった。4私鉄の連絡ルートが実現した 1937 年,日中戦争が始まり,太平洋戦争へと続き戦局が悪化する中で,4私鉄は国に強制買収された。当時,全線 192.3 キロの電車運転区間は国内最長だった。[...]


更新日 2006/12/31