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sinäte


最近,フィンランド語を勉強している遠方の高校生と 「メル友」 (?) になって,sinäte の使い分けについて,いろいろと話す機会がありました。あれやこれやでいろいろ考えるきっかけになったので,この際今の時点で私がこの現象をどうとらえているかについて,簡単にまとめておこうと思います。

1986 年の 「エクスプレス フィンランド語」 では 90 ページで sinäte の使い分けをこう説明しています。

日本語には,敬語があり,相手や場面に応じていろいろな言い方を使いわけていますが,フィンランド語には,このような複雑なことばの使いわけはありません。ただし,ひとつだけ大切な言い方の区別があります。それは,改まった場面では,相手に対して sinä のかわりに,複数の te が使われるということです。この場合,動詞は相手がひとりでもすべて te に対応する形 (2人称複数形) になります。 [中略]
敬語の te は,相手との間に心理的距離をおくときに用いられます。したがって,たとえば,デパートの店員や,郵便局・銀行など窓口の人に対しては,たいてい te を使います。こういう場面で sinä を使うと,親しい知り合いの間の会話であるような「なれなれしさ」を与えてしまうからです。また,非常に目上の人 (たとえば,市長,大臣) に対しても te で話しかけるのがふつうです。見知らぬ人に対して te を使うかどうかは,場面によることが多いようです。通りで道をたずねる場合と,飲み屋でたまたま同席した人と話す場合とでは,前者で te が使われる可能性の方がずっと高いでしょう。人によって考え方が違うことも考慮する必要があります。たとえば,大学の教授でも学生と sinä で話すのを好む人もいれば,te を使う人もいます。年輩の人の中にも,sinä で話かけられるのを嫌う人もいれば,te で話しかけるのを年寄扱いとうけとる人もあります。[後略]

15年以上も前に書いた文章ですが,よくまとまっていて (手前味噌!) 今でも基本的には正しいと思いますが,メール談義で補足や修正が必要がある箇所が明確になったことは確かです。

「敬語」は,かならずしもぴったりした言い方ではないかもしれません。日本語の研究では,こういった表現はいわゆる 「敬語」 より範囲が広いと考えて 「待遇表現」 と呼んだりするようです。フランス語,ドイツ語など,ヨーロッパの他の言語でも似たような区別があって,文法書では 「親称」 「敬称」 という呼びわけをしているようですから,そっちのほうがわかりやすいと感じる人もいると思います。フィンランド語では,sinä を使うことを sinuttelute を使うことを teitittely と呼びます。sinuttelu は 「sinä を使って話す」 という意味の動詞 sinutella の名詞形,teitittely は,同じく 「te を使って話す」 という意味の動詞 teititellä の名詞形です。

さて,上の解説を文字通り読むと,道を聞いたり,飲み屋で相席した人と話す場合に te を使う場合があるかのような印象を受けますが,まあ,どっちの場合も te はまず聞かれません。大学にも,私が留学したころには,teitittely 派の教授がまだ残っていましたが,今はもういないでしょう。1960 年代頃までは大学生の間でも teitittely がふつうだったという話を聞いたことがあります。

同じ人であっても,場面に応じて sinä になったり,te になったりすることはありえます。たとえば,国会議長・国会議員・大臣たちがパーティーの席で話を交わすとき teitittely することはまずないと思いますが,同じ人たちでも,国会の代表質問という場面では sinuttelu は場違いな感じがします。ジャーナリストと大臣・市長・大学教授などの間でも,ふだんは sinä で話すだろうと思いますが,テレビ番組でのインタビューになると,ジャーナリストは te を使いたくなるだろうと思います。

他のヨーロッパの言語でも同じだろうと思いますが,子どもは sinuttelu の世界に生きています。つまり,子どもはどんな場面でも,誰に対しても sinä で話しかけてかまわないし,また,相手が子どもならどんな場面でも sinä で話しかけていいわけです。逆に,ある程度の年齢の子どもに対して te を使えば,一人前と認めて接することになります。なお,あらゆる人といつでも sinä の関係にあるのがふつうで,teitittely になじめない唯一の人 (?) は,キリスト教の神だろうと思います。

つまり,場をわきまえて tesinä を使いわけるということができるのが,いわばひとかどのフィンランド語の使い手ということになるでしょう。その際,日本語の待遇表現と同じで,人によって受けとめかたに違いがありうるので,相手の反応をみて臨機応変に対応できる余裕が要求されます。

また,相手が目上かどうかより,距離を置く関係・場面であるかどうかのほうが重要なファクターなので,日本語の敬語の規則で類推するととんちんかんなこともあります。たとえば,日本語なら,目下の話し手は敬語を使って話し,目上の話し手はそれに対し敬語を使わずに答えるというシチュエーションはめずらしくないのですが,フィンランド語の場合は相互的な関係であるという点に根本的な違いがあるのでやっかいです。ふだん日本語では対等な話し方をしていない大学院生と先生の間柄の場合,会話がフィンランド語に切り替わった途端にフィンランド語流に対等な sinuttelu のスタイルに切り替えないと,フィンランド語としては不自然に聞こえてしまうわけですが,だからといって,呼びかけをふだんの 「OO先生」 からいきなり名前にスイッチする際の学生の側の戸惑いは先生の側の戸惑いよりはるかに大きいと思います。

待遇表現をうまく使い分けることができるかどうかは,あいさつがちゃんとできるかどうかと似たところがあって,いわば 「しつけ」 や 「センス」 の問題でもあるわけで,文法規則のように理屈で割り切れない理由はそのへんにあるといっていいでしょう。なお,sinuttelu は 1970年代頃から急速に一般化したようで,スウェーデン語の影響だといわれます。ただ最近は,再び少し teitittely が盛り返してきたという話も聞かれます。sinäte の使いわけは「流行」の問題でもあるわけで,その意味でも話し手の「センス」の問題だと言えないこともありません。

参考までに,フィンランド語とよく似ていると思われているエストニア語では sinate の使いわけが,昔のままきちんと保存されていて,学生や職場の同僚の間でも sina の関係と te の関係はちゃんと区別されています。私は,今のエストニア大統領 (Lennart Meri; 作家) とは 20年ぐらい前に初めて知り会い,最初はフィンランド語で話していた関係でずっと sinuttelu で通し,その後,エストニア語で話すようになっても,あまり深く考えずそのまま sina に移行してしまいました。相手が大統領になってしまった後は,おそれ多くてめったにことばを交わす機会がないのですが,やはり面と向かっては sina のままです。この間大統領の公式のメールアドレス (たぶん秘書が読んでいる!) にメールを送る必要があって,個人的な内容ではなかったので,考えた末に te を使ったら,返事が sina で来ましたが,大統領の任期が終わってくれないと,話しかけにくい人のままです。


更新日 2003/11/16