アレクサンドル2世像 (1894)

セナーティ広場 (Senaatintori) の中央にあるロシア皇帝アレクサンドル2世 (在位 1855-81) の銅像 (Walter Runeberg 作, 1894) の写真です。

Aleksanteri II © 1997 by Kazuto Matsumura
背景の建物はヘルシンキ大聖堂 (Tuomiokirkko) [1997/02]

ヘルシンキの「銀座通り」の「アレクサンドル通り」 (Aleksanterinkatu) は,このアレクサンドル2世の銅像の前を通っているので,てっきりアレクサンドル2世に因んで名付けられたものと思い込んでいたが,実は,フィンランドがロシア領になった当時のロシア皇帝アレクサンドル1世に因んだもののようだ。Senaatintori の周辺は,1819 年にアレクサンドル1世がフィンランドを訪問したときに今日のように作られたもので,「アレクサンドル通り」という名前に改名されたのは 1835 年という。

Aleksanteri II © 1998 by Kazuto Matsumura
銅像正面 (南側) 下部の 「法」 を表すとされる部分。女神 (?) が持っている楯にラテン語で LEX 「法」 と書かれている。[1998/03]

この LEX の文字で思い出すのは,フィンランドの画家 Edvard Isto (1865-1905) が,ロシア化政策の激しかった1899年に描いた有名な風刺画 「攻撃」 (Hyökkäys)。乙女 (=フィンランド) が両手で必死に抱えている LEX と書かれた書物を,双頭の鷲 (=ロシア) が奪い取ろうとしているところを描いた絵である。

Aleksanteri II © 1998 by Kazuto Matsumura

銅像の西面下部。「産業」を表すと思われる。右側の女性が手に鎌を持ち,左側の男性が鎚を持っているのがおもしろい。「鎌と鎚」は,ソ連邦のシンボルとばかり思っていたが,産業のシンボルとして,案外帝政時代からあった組み合わせなのかもしれない。[1998/03]

Aleksanteri II © 1998 by Kazuto Matsumura

銅像の東面下部。「学芸」を表すと思われる。 [1998/03]

更新日: 2008/05/30