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sisu の基本的意味


Suomalaisella sisulla tarkoitetaan useimmiten sitkeyttyttä ja peräänantamattomuutta. [TP]
フィンランド人の sisu といえば,大抵の場合,粘り強さと決して妥協しない頑強さのことをさす。

しばしば 「フィンランド魂」 と訳される sisu は,フィンランド人の国民性を表すことばだと言われる。

この言葉は,スポーツにおける強さの代名詞として使われるのが,最近の用法としてはもっとも多いのではないかと思われる。たとえば,スポーツチームの名前に sisu を含むものがよく見られるが,これは,野球チームの名前の 「ジャイアンツ」 とか 「ドラゴンズ」 などと共通した原理による命名法であろう。実際,野球チームが 「ハムスター」 とか 「メダカ」 とかでは,あまり強そうに聞こえない。このほか,会社の名前に sisu が使われたり,フィンランド製造の砕氷船に sisu という名前のものがあるそうだが,確かに強力で信頼できそうな響きがある。

ちなみにお隣のエストニアに行くと,民族叙事詩の 「カレヴィポエク」 (Kalevipoeg) の主人公の英雄の名前に由来する 「カレヴ」 (Kalev) という名前のスポーツチームがあるし,モスクワに行くと「ディナモ」つまり「発電機」という名前のスポーツスタジアムがあるが,これも同じ原理による命名と思われる。

スポーツ報道での sisu の使われ方を見てみると,たとえばアイスホッケーの試合で,実力において劣っているフィンランドチームがスウェーデンチームを接戦の末破ったような場合,sisu のなせる技だというような言い方,言い換えると,肉体的な力の不足を精神的な力で克服して,理屈で考えたらありそうにない奇跡的な勝利を収めたというような説明が行われる。さらに,第2次大戦中に2回に分けて戦われた 「芬ソ戦争」 で,フィンランドのような小国がソ連邦という大国を敵に回して,ある段階まで互角に戦った事実を,フィンランド人の sisu の現れと見るなど,理屈を超えた一種の神秘的な説明も同じ原理に基づいていると考えていいだろう。

このようにみてくると,sisu というのは,身体の大きさとか,隆々とした筋肉のようにいかにも強そうに目に見える肉体的な力ではなくて,目には見えないけれども,必要なときに内面から出てくる精神的な力と解釈できそうである。

とすると,黒沢明監督の映画 「生きる」 で,自分が末期ガンと知って,残された数ヶ月間の命を児童公園の建設のために捧げ,公園が完成した日の夜に公園のブランコで凍死した主人公,志村喬演じる平凡な市役所の役人を公園完成まで内面から支えた不思議な力こそ,この sisu にあたるものではないかと私は思う。また,昨年 (1999年) の夏,エピソードIが封切られた George LucasStar WarsForcesisu と通じるものが感じとれるのは,Lucas が黒沢の 「七人の侍」 に感銘を受けたこととひょっとすると無関係ではないかもしれない。Forcesisu の共通点についてはまた後でもう一度ふれる。

「フィンランド魂」 は 「大和魂」 にならって作ったことばだろうと思われる。しかし,国語辞典によると,「大和魂」 とは 「儒教とか仏教のような外来の物の見方が入ってくる前の日本人の物の見方・考え方」 をさすらしい。これが黒船以降は,欧米の考え方に対立するものとしてとらえられているようである。私自身,「大和魂」 ということばの意味がよく理解できないので,確実なことは何も言えないが,もし 「大和魂」 が国語辞典の言っているような意味だとすると,sisu の日本語訳としては 「根気」 とか 「気力」 の方がぴったりくる部分がより多いのではなかろうか。

ただ,太平洋戦争によって欧米に知られるようになった 「カミカゼ」 の概念が 「大和魂」 と結びつくなら,芬ソ戦争でフィンランド人が示した sisu に通じるところがあり,sisu を 「フィンランド魂」 と訳したくなる気持ちも分からないではない。しかし,アメリカで 「カミカゼ」 といえば特攻隊のことであり,「カミカゼ・タクシー」 は乱暴な運転をさすらしい。したがって,「大和魂」 の 「カミカゼ」 に通じる側面は,日本人にとって決して名誉な国民性ではなく,sisu をフィンランド人の国民性のプラスの側面と見る見方とはやはり相いれないと見た方がいいのではないだろうかという気がする。

フィンランド語の同意語・類義語辞典で sisu および 「sisu を持っている」 と言う意味の形容詞 sisukas の同意語・類義語を調べてみると次のような言葉が載っている。
luonto性分,気puhti活力,元気
rohkeus勇気,度胸tarmo活力,精力
uskallus大胆,勇気hellittämätön粘り強い,不屈の
itsepäinen頑固な,強情なkestävä長持ちする,丈夫な
lannistumatonくじけない,屈伏しないlujatahtoinen強靭な意志をもった
ponteva活力のあるsinnikäs粘り強い,根気のある
sitkeä粘り強いtarmokas活力溢れる

この sisu ということば自体は,バルト・フィン諸語に共通の非常に古いことばで,たとえばエストニア語にもそれと同語源の言葉がある。ちなみにエストニア語で sisu というと 「なかみ,内容物」 の意味で,フィンランド語の sisältö, sisus に当たる。sisu と同じ語源に遡るフィンランド語には,たとえば,ドアがノックされたときに 「どうぞ中へ」 という意味で言う sisään 「中へ」 という意味の副詞がある。

どうやら,sisuはもともと 「ヒトの身体の中にあるもの」 というような意味で,最初は日本語の 「おなか」 のように内臓を表したものが,次第に比喩的な使い方が一般化してきたようである。ちなみに,日本語の 「腹」 は,内臓を指すと同時に,「腹を探る」 「腹が黒い」 などの表現では,「考え」 とか 「性格」 のような比喩的な意味で用いられるが,最近は,比喩的な用法で使うの方が主流になっている気がしないでもない。「腹が減る」 だったものが,いつのまにか 「おなかが減る」 に変わってきたのが象徴的である。

日本語の 「腹」 があまりいい意味ではないのと関係があるかどうかはわからないが,sisu の方も,もともとはあまりいい意味では用いられなかったようである。つまり,本来は 「粘り強さ」 「意志の固さ」 のようなプラスの意味ではなくて 「頑固」 「強情」 などのマイナスの意味で用いられるのがふつうだったようである。フィンランド人の精神的な強靭さを,厳しい自然の中で鍛えられた不屈の生命力ととらえるか,あるいは,荒涼たる自然の中で生きる人間の野性的な荒々しさととらえるか,これは紙の表と裏の関係にあると言える。実際,かつてフィンランドで暴力的な犯罪が多いことを,フィンランド人の sisu と結びつけて理解しようとする考え方が出されたり,反抗的で,協調性のない子どもを sisukassisu が多い」 という形容詞で形容することが一般的な時代があったそうだが,犬に対しては今でも,この形容詞はふつうに使われる。日本語で 「癇癪もち」 「癇癪を起こす」 というときの 「癇癪」 にこの意味での sisu に通じるところがあるように感じられる。


更新日: 2004/05/12