松村一登訳 © Kazuto Matsumura 1992, 2001 (Japanese translation)

フィンランド語の起源

フィンランド語の文法や語彙は,ヨーロッパの大部分の言語と大きく異なっています。母音が多い,子音が少ない,単語が長い,いつも第1音節にアクセントを置くなど,フィンランド語を耳にした外国人がすぐに気づく特徴です。2つ以上の子音で始まったり,終わったりする単語はほとんどありません。たとえば,koulu「学校」, ranta「岸」, lyijy「鉛」(フィンランド語はほぼ綴り通りに読みます)は,スウェーデン語から入った外来語ですが,スウェーデン語の skola [skuːla], strand, bly [blyː] と比べて見るとわかるように,フィンランド語では,語頭の子音が落ちたり,語尾に母音が加わったりしています,。また,フィンランド語では母音がよく用いられることを示す例としては, hääyöaie (hää「結婚式」+「夜」+aie「計画」)のような語をあげることができます。フィンランド語には,ドイツ語やフランス語に見られるような男性名詞・女性名詞の区別はありませんし,冠詞もありませんが,名詞が15の格に活用します。他の言語なら,前置詞,代名詞,不変化小詞などで表されるものが,フィンランド語では接尾辞で表されることも,特徴の1つです。たとえば, laula-n auto-ssa-ni-kin (接尾辞はハイフンで切って示す)「わたしは自分の車の中でも歌う」は,英語に逐語訳すると sing-I car-in-my-also となります。

とはいっても,フィンランド語は,ヨーロッパの中で孤立した言語であるわけではありません。フィンランド語は,フィン・ウゴル諸語と呼ばれる言語のグループに属しています。このグループの言語は,スカンジナビア,西シベリア,ハンガリーを含む東ヨーロッパに分布しています。フィン・ウゴル諸語は,さらにサモエード諸語と呼ばれる言語グループと親縁関係にあります。サモエード諸語は,今世紀のはじめころは,北極海沿岸から,タイミル半島のツンドラ地帯,オビ川およびエニセイ川の流域,さらにはモンゴル国境のサヤン山脈地方にまで広がっていました。フィン・ウゴル諸語とサモエード諸語を一緒にして,ウラル語族と呼びます。

フィンランド語にもっとも近い言語はエストニア語です。エストニア語は,フィンランド湾の南岸地方で話され,その話者はおよそ100万人です。フィンランド語とエストニア語は,ちょうどスウェーデン語とデンマーク語の間と同じくらいよく似ているので,フィンランド人とエストニア人は,少し勉強すればお互いに相手の言葉が分かるようになります。フィンランド人にとって,エストニア語と同じくらい簡単に分かるようになる言語は,まだいくつかあり,フィンランドの南方,南東,東方に分布しています。カレリア語ベプス語ボート語リーブ語などがそれです。スウェーデン,ノルウェー,フィンランド,ロシアで話されているサーミ語(ラップ語)は,これらの言語よりはフィンランド語との関係が疎遠です。サーミ語が話されている地域は,スウェーデン中部のヘリエダーレン地方からコラ半島の東岸まで,幅約100~200キロの帯状にのびています。フィンランド語とサーミ語の間の違いは著しく,相互に理解することができません。

さらに遠い親戚の言語には,ボルガ川中流域のモルドビン語マリ語(チェレミス語),カマ川・ビャトカ川流域のウドムルト語(ボチャーク語),ドビナ川・ペチョラ川流域のコミ語(ジリエーン語),さらにはウラル山脈の東側,オビ川流域のハンティ語(オスチャーク語)とマンシ語(ボグール語)などがあります。ハンガリー語は,フィン・ウゴル諸語のなかではもっともよく知られている言語ですが,フィンランド語と遠い親戚関係にあります。

ウラル語族に属する言語には,他の言語とは区別されるいくつかの文法的な特徴があり,また,共通の起源にさかのぼる古い語彙を持っています。フィン・ウゴル諸語相互の関係は,言語学者たちによって明らかにされ,その歴史が再構されました。フィン・ウゴル諸語はすべて,およそ5000年前に話されていた「フィン・ウゴル祖語」と呼ばれる共通の祖先の言語にさかのぼると考えられています。歴史の再構をさらにさかのぼって押し進めると,フィン・ウゴル諸語とサモエード諸語の共通の祖先である「ウラル祖語」に到達します。ウラル祖語は,6000~7000年前に話されていたものと考えられています。ウラル祖語やフィン・ウゴル祖語がどこで話されていたかについては,確かなことは分かりませんが,いろいろな事実を総合して判断すると,ウラル祖語は,その名前が示すように,ウラル山脈の近辺で話されていたと思われます。

石器時代に狩猟や漁業で生活していた人々は,日々の食糧の確保のために広い領域を必要としました。ある計算によると,この時代の東ヨーロッパや北ヨーロッパの森林地帯では,1平方キロ当たり0.1~0.5人程度の人口しか養うことが出来ませんでしたから,当時の生活は移動の連続でした。人々は,家族そろって,季節が変わるのに合わせて,食糧を求めてかなりの距離を移動して回りました。したがって,ウラル祖語を話す人々の居住地域は拡大し,それにつれて,相互の接触がしだいに希薄になり,やがて地理的に遠く離れてしまうと,相互の接触はまったく途絶えてしまったのです。方言差もしだいに拡大し,やがて方言間の相互理解が不可能になります。つまり,1つの言語から,複数の言語が生じたわけです。まず,フィン・ウゴル諸語とサモエード諸語が最初に分かれました。フィン・ウゴル祖語は,ウラル山脈とボルガ川の間の地域で話されていたらしいことがわかっています。2000年の間に,フィン・ウゴル諸語を話す人々の集団は,ウラル山脈からバルト海の東岸に至る広大な地域に拡散しました。

フィン・ウゴル諸民族は,北ロシアおよび中部ロシアのもっとも古くからの住民で,この地域が,スラブ系(ロシア人,ウクライナ人など)やチュルク系(トルコ人,タタール人など)の人々に侵食され始めたのは,今から1000年ほど前のことに過ぎません。フィン・ウゴル系の住民の一部は,後から来たスラブ系やチュルク系の人々に同化され,吸収されました。

考古学の調査によって発掘された遺跡,石器,土器のかけらや装飾品,あるいは,住居跡や墳墓から,先史時代の人々の生活がかなりよく分かります。しかし,言語もまた,歴史の痕跡をとどめています。新しい物が発見・発明されたり,新しい作業方法が考案されたり,新しい職業が現れたり,社会構造が変わったりすると,かならず,新しい概念や単語が生まれます。言語の語彙は,何千年も前に生まれたもっとも古い層から,つい昨日生まれたもっとも新しい層に至るまで,地層のような層をなしています。ちょうど地質学者が地層から地球の歴史を読み取るように,言語学者は,特定の言語の語彙の層を研究することによって,その言語の歴史やその言語を話した人々の歴史を知ることができます。現存するフィンランド語のテキストは,もっとも古いものでも,せいぜい16世紀のものでしかありませんが,歴史言語学や比較言語学の方法を用いると,フィンランド語の歴史をもっと古い時代にまでさかのぼることが可能になるのです。

フィンランド語の語彙のうちでもっとも古い層は,ウラル祖語およびフィン・ウゴル祖語の時代(5000~7000年前)にまでさかのぼるものです。この層の語彙は, jousi「弓」, nuoli「矢」, kalin,kulle(いずれも漁業用の原始的な網)などのように,石器時代の狩猟民や漁民の生活を反映した語からなっています。この時代には,狩猟と漁業が主たる生計の手段でしたが,koira「イヌ」や porsas「ブタ」などの語彙が示すように,家畜も飼われていました。最後にあげた porsasという語は,フィン・ウゴル祖語時代の人々が,隣接地域に住んでいたインド・ヨーロッパ語族の言語を話す人々から借用したもので,英語の pork「豚肉」と同じ語源にさかのぼる語です。インド・ヨーロッパ語族から入った語としては,このほかに mehiläinen「ミツバチ」, mesi「ハチミツ」などがあり,フィン・ウゴル祖語を話していた人々は,すでにハチミツなどを知っており,おそらく,すでに簡単な養蜂業を営んでいたと考えられます。古来,冬期の交通・移動手段であった ahkio「そり」やsuksi「スキー」,また,川が交通に利用されたことを示す動詞 soutaa「漕ぐ」なども,この時代から受け継がれてきた語彙です。フィンランド語には,このほかにも, pato「堰」, punoa「織る」, solmu「(紐の)結び目」, veitsi「ナイフ(本来は「斧」)」, vuolla「削る」, vyo"「ベルト」, aima「針(もと骨製)」, kota「(テント状の)住居」, ovi「ドア」などが,当時の日常生活を表す語彙として残っています。フィン・ウゴル祖語は,家族・親族の関係を表す語彙が豊かで,その多くがフィンランド語に受け継がれています。それに比べ,そのほかの社会生活に関する語彙は,ずっと少なく,シャマニズムと関係がある noita「魔女」があるだけです。これは,石器時代の狩猟民や漁民にとっては,家族・親族が中心的な役割を果たし,それより大きなレベルでの社会組織がおそらくまだ成立していなかったためと考えられます。

その次に続く時代も,同じようにフィンランド語に足跡を残しています。語彙の層から,たとえば,紀元前3世紀ころ大きな社会的変化がおこったことがわかります。バルト海周辺やボルガ川流域の人々が農業を知るようになったのです。バルト・フィン諸語とモルドビン語・マリ語の農業関係の語彙が共通していることが,この革命的な変化を証明してくれます。当然,この時代には,社会関係をあらわす新しい語彙も発達しました。農民の生活は規則的なものとなり,定住がはじまり,隣人との交流がしだいに重要性を増してきました。こうして,共同体の組織は複雑さを増し,あたらしい社会的基準が取り入れられました。

しかし,すべての人々が農業に従事しようとしたわけではありませんでした。とりわけ,北の地域では,農業だけに頼っていたのでは生活が保障されず,狩猟や漁業のほうがより確実でした。フィン・ウゴル系の言語が話されていた地域の北西部の外れ,すなわち,フィンランド湾とラドガ湖の周辺に住み,フィン祖語と呼ばれる言語を話していた人々が,しだいに2つの集団に分かれていったのは,このような自然環境の差によるところが大きかったと考えられます。2つの集団の言語は,はじめは方言程度の違いでしたが,やがて,それぞれ別々の言語に発展しました。北の集団は,以前の生活を続け,獲物,とりわけ野生のトナカイを追ってしだいに北へ北へと進み,そこで出会ったスカンジナビアの原住民を,しだいに同化・吸収していきました(この原住民の起源については,よくわかっていません)。サーミ人(ラップ人)は,この北へ進んだ人々の子孫です。他方,南の集団は,フィンランド湾周辺地域にとどまり,農業と牧畜業をさらに発達させました。この人々が,フィンランド語をはじめとする今日のバルト・フィン諸語を話す人々の祖先です。

フィンランド語は東方起源であるといわれますが,今日のフィンランドの地で,フィンランド語,あるいはフィンランド語の祖先の言語が初めて話されたのは,いつ頃のことでしょうか。はっきりとした答はまだ出されていません。言語学の方法によって明らかになるのは,「Aは今から何年前に起こった」という絶対的な年代ではなく,「AはBより以前に起こった」という相対的な年代です。構文や,語彙,語形の相対的な年代は,かなりよくわかっているので,文法的な変化を順序づけることができ,これによって,言語の主な発達段階を示すことができます。

考古学的な遺物は,多くの場合,年代測定が出来ます。考古学者たちの研究によると,フィンランドに人が住み着いたのは,今から9000年も前のことです。しかし,石の斧,土器のかけら,かまどの跡のような遺物は,それらを使って生活していた人々がどんな言語を用いていたかまでは語ってくれません。ここに問題があります。つまり,考古学的な遺物はいつ頃のものかがわかりますが,当時の言語については語ってくれず,逆に,言語は,過去のことを語ってくれますが,それがいつ頃のことなのか教えてくれないのです。この2つのタイプの先史時代の記録を結び付ける方法はないものでしょうか。

この2つを結び付けるためのいろいろな試みが行われています。たとえば,フィンランドでは,前ローマ鉄器時代(紀元前500年~紀元後50年)の遺物はほとんど発見されていませんが,その次の時代の遺物はたくさんあります。これらの遺物は,フィンランド湾の南の地域で発見された遺物とたいへんよく似ています。このことから,かつてフィンランドに住んでいた人々(その起源についてはよくわかっていません)が,前ローマ鉄器時代になって減少または絶滅し,そのあと,紀元後の最初の数世紀の間に,エストニア方面から別の人々が移住したと,推定され,フィン祖語を話すこの新しい移住者たちが,今日のフィンランド人の祖先となったと考えられます。この説は,今世紀の初めに定説となり,つい最近まで,さまざまな分野の研究者たちも一様にこの説をとり,学校でもそう教えられてきました。しかし,これで問題が解決されたわけではありませんでした。

1970年代になると,言語学と考古学の両方で,この「南からの移住」説と矛盾するような資料や研究が公にされるようになりました。考古学の発掘調査では,前ローマ期の遺物も発見されました。資料が増えたことと研究方法が発達したことにより,フィンランドの先史時代のイメージは大きく変わりました。フィンランドでは,石器時代以降ずっと継続して人々が住んでいた,と考古学者たちの多くが考えています。エストニア方面との接触があったことは否定できないにせよ,以前考えられていたような大規模な人口の変動が起こったことを示す根拠はないというのが,考古学者たちの見解です。

「南からの移住」説は,最新の言語学の成果ともかみ合わなくなっています。フィンランド語の南西方言に見られるゲルマン語からのもっとも古い借用語彙が,フィンランド湾の南では見られないのです。問題のゲルマン語からの借用語彙は,青銅器時代に入ってきたものとされ,したがって,すでに紀元前1000~1500年頃には,フィンランドでフィン祖語が話されていたことになります。フィン・ウゴル系の人々がそれより以前にフィンランドに住んでいたかどうかは,依然不明です。考古学の成果をみると,フィン・ウゴル系の移住者たちは,紀元前3000年より以前にフィンランドに到着し,それとともにいわゆる櫛文土器がフィンランドに伝わったものと思われます。

フィンランド語が東方で生まれたことは,揺るぎない事実です。しかし,フィンランド語は,その後の発達の過程で,西からの影響をかなり受けています。フィン・ウゴル祖語の時代に,インド・ヨーロッパ系の言語からの語彙の借用が行われたことについてはすでに述べました。その後借用された語彙を調べると,インド・ヨーロッパ系の諸言語との接触が絶え間なく起こっていたことがわかります。紀元前2世紀頃,フィンランド人の祖先は,バルト系の人々と接触しました。彼らは,今日のリトアニア語やラトビア語と同系(インド・ヨーロッパ語族バルト語派)の言語を話していた人々です。フィンランド語に見られるバルト系の古い借用語彙は,フィンランド人の祖先がバルト系の人々と密接に交わり,その文化的影響を強く受けたことを物語っています。東方から現在のバルト3国の地域にやってきたフィンランド人の祖先は,バルト系の人々と出会いました。彼らは,これまでずっと内陸に住んでいましたから,フィンランド語には,川とか湖のような内陸の水系をさすことばはあっても,海に関係することばはありませんでした。フィンランド人の祖先は, meri「海」, lohi「さけ」, ankerias「うなぎ」のような語彙を,フィンランド湾とバルト海の岸にやってきて,そこで出会ったバルト系の人々から学んだのです。

これと同じ頃,あるいは少し後になって,フィンランド人の祖先は,ゲルマン系の人々と接触し,新しい語をたくさん借用しました。ゲルマン系の借用語彙を調べてみると,ゲルマン系の人々から受けた影響が,バルト系の人々から受けた影響よりかなり強かったことがわかります。フィンランド語では,職業,技術,武器,社会などの分野の語彙の中に,たくさんのゲルマン系の借用語が見られます。ゲルマン系の言語からの影響は,時代によって強弱はありますが,青銅器時代から現代まで,途切れることなく続いています。相手の言語は,はじめはゲルマン祖語,ついで古ノルド語(スウェーデン語・ノルウェー語などの祖先),そしてスウェーデン語と代わりました。もっとも新しいゲルマン系の借用語は,英語から入った語で,たとえば buukata(英語の book「予約する」から), jatsi(jazz「ジャズ」), meikki(make-up「化粧」), taksi(taxi「タクシー」), teippi(tape「テープ」)など,今日のフィンランド人の日常語にとけ込んでいます。

フィンランド人がスラブ系の人々と接触したのは,ゲルマン系の人々の場合より後の,紀元後5~6世紀ころのことでした。以後,フィンランド語には数多くのスラブ系の借用語が取り入れられました。スラブ系の借用語は,フィンランド語の東部方言の語彙の重要な部分を占めています。

フィンランド語が他の言語から受けた影響は,語彙の分野だけではありません。ゲルマン系の言語からの影響は,フィンランド語の音声や文法にも見られ,とくに,言い回しや単語の意味の面に顕著です。フィンランド語の研究者として有名な故ラウリ・ハクリネン教授は,次のように述べています。「フィンランド語は,他の言語の表現や言い回しを直訳して取り入れることによって,他のヨーロッパの言語が共有する文化的遺産を獲得した。こうしてフィンランド語は,その音韻的・形態論的構造の独自性からは考えられないほどの完全さで『ヨーロッパの言語』として脱皮することができたのである。」

ハクリネンが「音韻的・形態論的構造の独自性」と言っているのは,フィンランド語がフィン・ウゴル祖語のある部分をほぼ完全に保存していることを指しています。フィンランド語は,他のフィン・ウゴル諸語ではすっかり変化してしまった古い形態を保存しているため,よく「冷蔵庫」にたとえられます。先史時代の記録として残っているマンモスの骨のように,古い形態をそのまま保つ語形が,フィンランド語には見られます。

たとえば,フィンランド語の pata「深鍋」, pesä「巣」, kala「魚」, kota「(テント状の)住居」, ilma「空気」などの語形が5000~6000年前の形をそのままとどめているのに対し,他のフィン・ウゴル諸語では,語形がまったく変化してしまっています。フィンランド語のkotaを例にとると,対応する語形は,サーミ語 koahti, モルドビン語 kudo, マリ語 kude, コミ語 kola, ウドムルト語 kwa, ハンティ語 kaat, ハンガリー語 házです。また,フィンランド語に入った借用語が,もとの言語より古い語形をとどめていることもあります。たとえば,ゲルマン系の古い語形 kuningazは,フィンランド語では依然として kuningas「王」ですが,当のゲルマン諸語では,英語 king, スウェーデン語 konungまたは kung, ドイツ語 Königのように,語形がすっかり変化してしまいました。

フィンランド語の先史時代を,6000~7000年前のウラル祖語の時代からたどってきましたが,では,それ以前はどうだったのでしょうか。ウラル諸語とアルタイ諸語のあいだの類似性は古くから指摘されています。アルタイ諸語というのは,チュルク系,モンゴル系,ツングース系の諸言語からなっていますが,これらの3つのグループがすべて同系であるかについては疑問を投げかける学者もいます。それはともかく,ウラル諸語とアルタイ諸語が遠い親戚関係にあると考える研究者がいます。シベリアで話されているユカギル語がウラル諸語と同系である可能性は,アルタイ諸語の場合より高そうです。インド・ヨーロッパ諸語とウラル諸語の間にも類似性があり,これも2つの語族が共通の祖先にさかのぼるためと解釈されています。しかし,インド・ヨーロッパ諸語とウラル諸語の間の関係は,アルタイ諸語やユカギル語とウラル諸語の間の関係よりさらに疎遠です。最近は,ウラル諸語,アルタイ諸語,ドラビダ諸語(タミル語など)の間の古い親縁関係の可能性についても取りざたされています。ここに触れた諸言語とウラル諸語との関係は,ウラル語族の言語の間の親縁関係よりずっと以前の時代を問題にしているものであり,その類似性がどのような性格のものかは,まだ明らかにされていません。すなわち,共通の祖先から分かれたことに由来するものなのか,あるいは,ユーラシア大陸において何万年も以前に起こった民族接触の名残であるのか,どちらとも言い難いのです。答は,霧につつまれた地平線の向こう側にあるわけです。

(ミッコ・コルホネン,ヘルシンキ大学教授)

(*) フィンランド外務省の広報文書の日本語版 「フィンランド語の起源」(駐日フィンランド大使館, 1992年6月発行) のための翻訳原稿です。

更新日 2009/09/21